番組事故で共演者を亡くしているウッチャンナンチャン。
その後、遺族はどうなったのでしょうか?
また、ウッチャンナンチャンと
共演NGがささやかれている芸能人との背景に
ついて知らない人は多いかもしれません。
詳しく調べてみました!
【ウッチャンナンチャン】死亡事故で遺族のその後は?
今回の件で事の発端となったのは、
1990年から1993年の間に放送された
ウッチャンナンチャンが司会を務める番組
『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』
での番組企画中のことでした。
番組にゲストとして出演していた
香港ロックバンドのビヨンドのボーカル
黄家駒(ウォン・カークイ)が内村光良と共演をします!
しかし、番組中、
ベニヤ板によりかかったことから
黄家駒は3メートルしたに転落してしまい、
それが体を地面に激しく打ちつけ、
病院に搬送されるものの、
亡くなってしまいました。
実はこの時、
内村光良も一緒に落下しているため、
内村光良は病院に入院するほどの大怪我を負ったのでした。
遺族のその後は?
テレビ番組で死亡事故という前代未聞の事件に
責任を感じた内村光良は
『自分のせいでウォンさんは亡くなってしまった』
と責任を感じ、芸能界を引退しようと考えたそうです。
世間はこの時、現場でウォンさんと一緒にいた
内村光良が悪いと決めつけ、
内村光良がウォンを殺したと流布しました。
精神を病み、極限状態にまで追い込まれた
内村光良は遺族に謝罪をします。
ところが、ウォンの遺族は
内村光良に
『あれは事故だったんです。芸能界を辞めないでください』
と伝えたそうです。
どんな気持ちでウォンさんの遺族の言葉を受け止めたのでしょうか?
世間からは殺人者と思われていたため、
誰にも理解されない中、
遺族からのまさかの言葉だったのではないでしょうか?
しばらくしてから、
内村光良は芸能活動に復帰しました!
しかし、事故で負った傷はあまりに深く、
復帰後に出演した『オールナイトニッポン』
の出演中、
あまりの苦しさから
泣くこともありました。
共演NG芸能人は誰?
ウッチャンナンチャンと共演NGの芸能人がいるというのは有名な話ですね!!
特に、ダウンタウン・とんねるずの二組との共演NGは業界で知らない人はいないほどだそうです!
では、なぜこの三組は共演NGなのでしょうか?
それは90年代、
ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンは
芸能界の頂点を目指していて、
みんながギラギラしまくっていたからだったそうです!!
当時はこの三組と共演するタレントは、
どっちにつくのかを問われていたそうです!!
たとえば、
ウッチャンナンチャンと仕事をしたらとんねるずとは
仕事をしてはいけない、
そして、ダウンタウンとも仕事をしてはいけないという
暗黙のルールが存在したそうです!!
恐ろしいですね!!
つまり、共演者・周辺スタッフを
あらかじめ囲っていたというわけです!!
派閥ができていたわけです!!
お前は誰につくのかはっきりしろという
ある種の脅しに近かったと思えます。
それくらい、3組の頂点を争う戦いは
火花を散らしまくっていたのだと思います!!
現在、テレビで見る彼らの姿の背景には
このような壮絶な戦いがあったことを
知る人は少ないのではないでしょうか?
まとめ
・ウッチャンナンチャンの番組で、事故で台湾バンドのビヨンドのボーカル・黄(ウォン)さんが亡くなった。
・内村光良には責任はなかったが、事故後、罪悪感にさいなまされ芸能界引退を考えた。
・90年代、ウッチャンナンチャン、とんねるず、ダウンタウンは火花を散らすほどの天下を取る戦いを繰り広げていた!!
この度もご覧いただきありがとうございました!
今後も気になる情報を発信していきます!
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